夜の底が白くなった、信号のない高速で車が止まった アメダス 2020. 12.
<国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。> 国境は「こっきょう」ですか「く 国境は「こっきょう」ですか「くにざかい」ですか? それと、夜の底が白くなったとはどういう意味ですか? 川端康成氏自身がどこかで「くにざかいに決まっている。日本列島の中にこっきょうはない」と言う意味のことを書いておられました。(出典がさだかでないので申し訳ない) 雪は光を反射しますから、雪が積もっていれば、キャッチボールができそうな程度に明るくなります。夜に包まれていたのに、突然底の部分(地面)だけ白くなったんでしょうね。 その他の回答(1件) 朗読などでは「こっきょう」と読んでいるようですが、 個人的には「くにざかい」と読んで欲しい気がします。 話がそれますが、滋賀県に国境スキー場(くにざかいスキー場)ってありますが、 あれは近江と越前の境にあるためのようです。 夜の底が白くなったというのは、 真っ暗な夜のとばりの中に、降り積もった雪が月明かりか何かで、 白く見えている様をいっているんでしょうか。 私なんかの解説では不十分だとは思いますが、 言葉の意味をよくかみしめて、ご自分でも景色を思い描いてください。 映画などでは及びもつかない素晴らしい景色が広がってくると思いますよ。
川端康成『雪国』の冒頭は非常に有名ですよね。 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」 二文目は「夜の底が白くなった。」 「夜の底」という表現が独特で、こころに残る感じがするけれど、同じくらいこころに残る類似表現に町屋良平『青が破れる』で用いられていた「夜のした」という表現があります。 どちらかというとこの「夜のした」という表現の方が僕にとっては衝撃的であり、言うなればこの「夜のした」という表現を見て『雪国』の「夜の底」という表現を思い出したくらいにして、つまりここでは、「夜のした」という表現の効果を探るために、文豪川端の「夜の底」という表現を引き合いに出して考えたいというのが大きな目標となります。 「夜の底」「底」が表すのは容器感か 「夜の底が白くなった」というのは何となく詩的な表現だと感じる人は少なくないと思うけれど、言葉をよく吟味すれば、つくづく「夜」に「底」という言葉が組み合わさるのは変なことが分かります(変だから詩的な感じがあるんだろうけど)。 底ってどんなときに使うだろう?
少し前に書いたものですが、この身の基本的な姿勢に今でも通じますので、大事にしているものです。少々加筆して再掲します。 「最近、日本庭園が見直されている。動と静、わびの世界がこの荒廃したヒトの精神によい影響があるらしい」 これは、添削朱ペン進化塾の生徒さんが書いた作品の中の文章。 「わび」は「侘び」と書くこともあろうし、「ヒト」は「ひと」「人」、「よい影響」は「良い影響」「いい影響」を選んでもよ(良)い。 ローマ字ではどうなるか。 「Saikin nihonteien ga minaosarete to Sei, Wabi no sekai ga kono kouhai shita hito no seishin ni yoi(ii) eikyou ga arurashii.
The earth lay white under the night sky. The train pulled up at a signal stop. 」(国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。 夜の底が白くなった。 信号所に汽車が止まった。) 直訳すれば 「夜空の下に白く横たわっている大地」という「論理的」「常識的」「日常的」な言葉の並びでしかない。 日本人よりも日本の文学に通じていると言われるドナルド・キーンさんならどのような英語で言い表したろうか、想像するだけで愉しくなる。 日本語が駄目なのではなくて、効率だけを考える便法を優先する思考が日本語を使いこなしていないのであろう。
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