8月25日は「ラーメン記念日」。その理由は1958年のこの日、世界初の即席麺「チキンラーメン」が日本で発売されたからです。この世界的な発明とも言われる 日清食品 「チキンラーメン」「カップヌードル」の生みの親・安藤百福(ももふく)さんが、元々は台湾出身の実業家だったことをご存じでしょうか?
世界初のカップラーメンは日清食品の「カップヌードル」とされているが、ここでは「カップヌードル」よりも前に開発された幻のカップラーメンについて紹介します。 カップラーメンの発明者は安藤百福ではない?
天ぷらの原理を応用すればいいんだ! 」安藤は早速、麺を油で揚げてみると、麺の水分が高温の油ではじき出されました。ほぼ完全に乾燥した状態となった麺は、半年間置いても変質したり腐敗したりしない保存性を獲得。加えて簡便性についての問題も、この製法で解決することがわかりました。注いだお湯が水分の抜けた穴から吸収されて麺全体に浸透し、元のやわらかい状態に戻ったのです。 こうして、インスタントラーメンの基本となる製造技術〈瞬間油熱乾燥法〉のヒントが発見され、1958年8月25日に世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」が発売されました。お湯を注ぐとたった2分で食べられる「チキンラーメン」は、当時の常識では考えられない食品だったため《魔法のラーメン》と呼ばれました。 発売当時の「チキンラーメン」の価格は1食35円。うどん玉ひとつが6円の時代に、これでは商売にならないと、問屋の主人たちは仕入れを渋りました。しかし、「チキンラーメン」を実際に食べた人々からの "おいしくて便利だ! " という声が日に日に高まり、やがて問屋へ注文が殺到。ついには、問屋のトラックが工場前で列をなして「チキンラーメン」のできあがりを待つほどの大ヒットとなりました。 「チキンラーメン」が誕生したのは、ちょうど共働きや核家族が増え始めた時代。お湯を注ぐだけで食べられ、長期保存できるインスタントラーメンは、主婦の味方になりました。また、スーパーマーケットが日本に初めてできたのも「チキンラーメン」誕生の前年でした。それまでとは大きく異なる欧米型流通システムの登場により、インスタントラーメンなどの加工食品を大量販売するルートが切り拓かれたのです。さらに、テレビというメディアが人々の注目を集めたのもこの頃。当時はまだメディアとしての力が未知数だったにもかかわらず、安藤はいち早くテレビ番組のスポンサーになりコマーシャルを制作しました。「チキンラーメン」は、テレビの急激な普及と足並みを揃え、ますます広く知られるようになったのです。 3.
世のため人のためアニメシリーズ「安藤百福物語」インスタントラーメンの発明者/Momofuku Ando - YouTube
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